题名 |
所在文として使われる「ある/いる」と中国語の“在”に関する一考察 |
并列篇名 |
The Locational Usage of the Verb "Aru/Iru" in Japanese and the Verb "Zai" in Chinese |
DOI |
10.29737/SJFLL.201103.0005 |
作者 |
溫雅珺(Ya-Chun Wen) |
关键词 |
存在動詞 ; 所在文 ; ある ; いる ; 在 ; substantive verb ; locatioanal sentence ; aru ; iru ; zai |
期刊名称 |
東吳外語學報 |
卷期/出版年月 |
32期(2011 / 03 / 01) |
页次 |
107 - 126 |
内容语文 |
日文 |
中文摘要 |
本論は日本語の存在動詞「ある/いる」における意味・用法の一つである所在文を中心に中国語と対照するものである。所在文において、「ある」と「いる」は基本的に主語の有生性によって使い分けられるが、両者とも中国語の“在”が対応できる。しかし、所在文として使われる「ある/いる」と中国語の“在”との対応関係はそれほど単純なものではない。本論では「ある/いる」が使われる所在文において、日本語から中国語へどのような翻訳が成立するのかを観察することにより、所在文として使われる「ある/いる」と中国語の所在表現である“在”とはどう違うかを明らかにすることを目的としている。 |
英文摘要 |
This paper is concerned with the locational usage of the verb ”aru/iru” in Japanese and it's correspondent usage in Chinese. In the locatioanal sentence, ”aru ” and ”iru” is used for different subject. But whether the subject is biological or non-biological, the correspondence with the usage in Chinese is ”zai”. However, the correspondence between ”aru/iru” and ”zai” is not so simple. This article aims to observe the locational sentences of ”aru/iru” in novel and the Chinese translation saled in Taiwan to explore in what kind of the situation ”zai” will not be correspond to ”aru/iru” and what is the reasons for. |
主题分类 |
人文學 >
語言學 人文學 > 外國文學 |
参考文献 |
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被引用次数 |
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