题名 |
從「密本檔」看順治10年的華南統治政策 |
并列篇名 |
The Mi-ben dang, the Record of the Rruling Policy of Hua-nan in 1653 |
DOI |
10.29439/FJHJ.201007.0006 |
作者 |
甘利弘樹(Hiroki Amari) |
关键词 |
順治十年 ; 清朝 ; 華南 ; 統治政策 ; 密本檔 ; A.D.1653 ; the Qing Dynasty ; Hua-nan ; the ruling policy ; The Mi-ben dang |
期刊名称 |
輔仁歷史學報 |
卷期/出版年月 |
25期(2010 / 07 / 01) |
页次 |
199 - 229 |
内容语文 |
日文 |
中文摘要 |
本論文は,順治10年(1653)における清朝の華南統治政策を,特に軍餉と吏治の面から追究し,当該時期における清朝の政策の特徴を見いだそうとするものである。順治10年初頭,清軍は廣東・廣西及び湖南において永暦政権軍と,福建において鄭成功軍と各々対峙するという,困難な状況にあった。特に廣東・廣西では軍餉が不足していた。その背景には,江南から輸送されるべき援助物資が,當地の官僚の怠慢によって遅滞していた事が挙げられる。このような状況に對して,永暦政権占領下の雲南・貴州と廣東・廣西との中間に位置する湖南に,大権を有した五省経略洪承疇が派遣されると共に,皇帝直属の侍衛及び優秀な人材が送りこまれた。以後湖南制圧は順調に進み,同時に永暦政権軍の廣東・廣西侵入が減少するようになり,軍餉不足問題は解決へと向かった。一方福建においては,当初鄭成功軍と対峙する際,廣東・廣西・湖南における戦局との兼ね合いで,戦闘の回避が求められたため,交渉に基づいた招撫政策が採られると共に,吏治の粛正が企圖された。そして湖南・廣東方面が安定に向かうと,清軍は鄭成功軍に對して交渉と戦闘を並行して行う方法で対応し,有利な立場に立った。以上のように,順治10 年の華南地方では,清軍が多方面に対して戦闘を行っていたが,効率のよい政策が実施された事により,以後の平定戦が順調に進む転機がもたらされたのである。 |
英文摘要 |
This article aims to research the Qing Dynasty's ruling policy of Hua-nan in 1653, especially from phases of provisions and bureaucracy, and to examine the characteristics of the policy of the Qing Dynasty at that time.The Qing Forces carried out military action in many areas at Hua-nan in 1653, and then the efficient ruling policies brought the turning point that the battle which conquered the whole country proceeded favorably. |
主题分类 |
人文學 >
歷史學 |
参考文献 |
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