题名

懐徳堂に見る華夷論の超匙一中井履軒『弁妄』を手掛かりとして-

并列篇名

從懷德堂看華夷論之超克-以中井履軒《辨妄》為線索-|The Defeat of Huayi Theory as Seen In Kaitokudo -Taking NAKAI Riken 's "Benmo" As a Clue-

DOI

10.6183/NTUJP.2018.36.155

作者

黑田秀教(KURODA Hidenor)

关键词

江戸時代 ; 懐徳堂 ; 中井履軒 ; 浅見絅斎 ; 華夷論 ; 江戶時代 ; 懷德堂 ; 中井履軒 ; 淺見絅齋 ; 華夷論|Edo Period ; Kaitokudo ; NAKAI Riken ; ASAMI Keisai ; Huayi Theory

期刊名称

台大日本語文研究

卷期/出版年月

36期(2018 / 12 / 01)

页次

155 - 184

内容语文

日文

中文摘要

日本近世、儒教が興隆するとともに華夷の問題が湧き上がり、日本は夷秋に非ずとする言説が登場した。中井竹山、履軒兄弟の時に黄金期を迎えた大坂の懐徳堂も、華夷に纏わる言説を遺しており、その懐徳堂の考え方は、浅見絅斎の延長線上に位置付けられるものであった。しかし、絅斎は、日本が普遍的存在である漢土とは異なる存在であると主張することに立論の動機があった結果、日本の欠点には具体的に言及せず、また朝鮮は日本の属国であるとしており、他者を許容するという視点を欠いていた。一方、懐徳堂は、日本の欠点も冷静に受容し、朝鮮も自主独立の国として扱い、他者を自己と同等に扱ってこれを許容していく。懐徳堂は、自己を尊重するのと同様に他者を尊重することも忘れず、差異を優劣ではなく個性として認識することで、華夷を超魁することに成功したのであった。

英文摘要

日本近世隨著儒家的興起,令華夷問題漸漸浮現,繼而出現日本非夷狄之論。在中井竹山、履軒兄弟時迎來黃金時期的大阪懷德堂,也傳下與華夷問題相關之言論。可謂懷德堂之觀念,得定位在淺見絅齋的延長線上。然而,絅齋立論的動機條主張日本與普世認同的漢土實乃相異的存在,故不具體談論日本缺陷,且將朝鮮視為日本的從屬國,欠缺包容他人的觀點。相對地,懷德堂冷靜地接納日本缺點,並將朝鮮視為獨立自主的國家,視他人與自己條同等之存在。懷德堂在自重的同時亦不忘尊重他人,將人我差異視之為個性而非優劣,因而得以成功跨越華夷問題。|In early modern Japan, with Confucianism on the rise and the issues in Huayi (華夷) beginning to emerge, a discourse materialized which denied that Japan was barbaric. Osaka's Kaitokudo, which reached a golden age in the time of Chikuzan Nakai and the Riken brothers, left behind a discourse that had followed out of Huayi. Thought by Kaitokudo was positioned as a direct extension of Keisai Asami. However, Keisai had a motive for arguing that Japan was different than the universal entity that was China, and as a result, he did not concretely mention its flaws, posited Korea as a dependent state of Japan, and lacked a viewpoint that allowed for other people. On the other hand, Kaitokudo calmly accepted Japan's faults, treated Korea as its own independent country, and allowed the treatment of others as equals with oneself. In this way, Kaitokudo succeeded in overcoming Huayi by respecting the self while not forgetting to respect others, and not privileging differences but recognizing them as elements of individuality.

主题分类 人文學 > 語言學
人文學 > 外國文學
参考文献
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