英文摘要
|
In the 1920s, the Kabira family of Okinawa moved to Taiwan to seek new development because of their economical difficultly. In 1931, Kabira Choushin, the eldest brother of the family, entered into Taipei Broadcasting Bureau and served as the editor of the Radio News. He created a radio drama troupe with his younger brother Kabira Chouho, a primary school teacher. Their youngest brother, Kabira Chousei born in Taiwan in 1927, also participated in the performance of the radio drama as a child actor. In 1940, Kabira Choushin worked for the Government-General of Taiwan. When he was moved by seeing a primary school student care so much for planting military castor, he created a drama for teenagers. In addition, due to his dissatisfaction with Japan's policy of The Kominka Movement which prohibited the development of Taiwanese culture, he appealed to the Governor- General and held an audition of the puppet show and shadow play, which won the Governor- General's approval and thus conditionally gained room for the Taiwanese opera. This article discusses how the Kabira family, under the nation-differential imperial structure, worked their way through diversified theatrical activities and made themselves compatible with identities of "nation", "popular", and "folk".
|
参考文献
|
-
石婉舜(2010)。被動員的「鄉土藝術」:黃得時與太平洋戰爭期的布袋戲改造。臺灣文學研究集刊,8,59-83。
連結:
-
石婉舜(2008)。「黑暗時期」顯影:「皇民化運動」下的臺灣戲劇(1936.9-1940.11)。帝國裡的「地方文化」:「皇民化時期臺灣文化狀況,臺北:
連結:
-
簡秀珍(2012)。觀看、演練與實踐-臺灣在日本殖民時期的新式兒童戲劇。戲劇學刊,15,7-48。
連結:
-
くラジオ欄今日の番組〉《臺灣日日新報》1933年3月18日,第6版。
-
く沖縄豚の大餓鐘〉《臺灣日日新報》1925年7月16日,第5版。
-
〈臺灣糖業の發展〉《琉球新報》1918年5月2日,第2版。
-
〈ラジオ子供の時間(臺北のみ)立體童話都へ出た姉弟小鳥〉。《臺灣日日新報》1939年6月26日,第4版。
-
くラジオ欄今日の番組〉《臺灣日日新報》1933年1月21日,第4版。
-
〈銀の光子供樂園の練習〉《臺灣婦人界》1935.11:48。
-
〈糖價低落原因〉《琉球新報》1918年5月1日,第2版。
-
那霸市歷史博物館藏。「川平家資料」
-
く見童萎術聯盟と豪湾婦人界とのタイアツプに就て〉《臺灣婦人界》1935.8:40。
-
くコドモノ時間童話星むすめ〉《臺灣日日新報》1933年1月21日,第4版。
-
國史館臺灣文獻館藏。「機關練習生其ノ他募集(鐵道部)」《臺灣總督府府(官)報》。第3836號(1940年3月16日)。
-
くヒマに水!赤誠凝つた絶叫に涙あらた林少年を弔ふ〉《臺灣日日新報》1938年1月17日,第5版。
-
〈臺北銀の光子供樂園兒童の舞踊〉,《臺灣婦人界》1933.3。
-
又吉盛清(2018)。大日本帝国植民地下の琉球沖縄と台湾-これからの東アジアを平和的に生きる道。東京:同時代社。
-
三島わかな(2015)。地域を巻き込む放送文化:台北放送局「子供の時間」の放送童話を中心に。沖縄県立芸術大学紀要,23,51-67。
-
三島わかな(2016)。くラジオドラマと音楽-川平朝申の脚本集を事例に。ムーサ,17,45-57。
-
川平朝申(1984)。台湾の伝統文化保護運動の思い出。新沖縄文学,60,6。
-
川平朝申(1974)。わが半生の記-歴史と民俗と人(7)。沖縄春秋,12,78-89。
-
川平朝申。1934。〈故郷の唄〉《臺法月報》28.6:119。
-
川平朝申。1941。くあとの言葉〉《臺法月報》35.4:75。
-
川平朝申。1940。〈春の日記より〉《兒童街》2.3:33-40。
-
川平朝申(1974)。わが半生の記-歴史と民俗と人(5)。沖縄春秋,10,82-83。
-
川平朝申。1939a。〈あとの言葉〉。《臺法月報》33.4:111。
-
川平朝申。1939b。〈あとの言葉〉《臺法月報》33.5:106。
-
川平朝申。1935。〈銀の光子供樂園々歌〉《臺灣婦人界》1935.11:41。
-
川平朝申(1974)。くわが半生の記─歴史と民俗と人(4)。沖縄春秋,9,52。
-
川平朝申(1974)。沖繩県庶民史。那覇:月刊沖縄社。
-
川平朝甫。1940c。〈公學校に於ける童話教育と國語の問題(三)〉《兒童街》2.3:2-7。
-
川平朝甫(1984)。台湾での児童文化運動。新沖縄文学,60,20。
-
川平朝甫1940a。〈公學校に於ける童話教育と國語の問題(一)〉。《兒童街》2.1:1-4°
-
川平朝甫。1940b。〈公學校に於ける童話教育と國語の問題(二)〉。《兒童街》2.2:1-6。
-
川島淳(2015)。「川平朝申関係資料」に関する史料学的考察-那覇市歷史博物館所蔵「川平家資料」を中心に。台湾植民地史の研究,東京:
-
中央研究院臺灣史研究所檔案館。中央研究院臺灣史研究所檔案館「臺灣總督府職員錄系統」。
-
日本国立情報学研究所。日本国立情報学研究所,「KAKEN:科学研究費助成事業データベース」。
-
寺崎隆治編集(1972)。長谷川清傳。東京:長谷川清伝。
-
李天祿(口述),曾郁雯(錄)(1991).戲夢人生:李天祿回憶錄.台北:遠流.
-
沖縄を知る事典編集委員会(2000)。沖縄を知る事典。東京:日外アソシエーツ。
-
沖縄大百科事典刊行事務局編(1983)。沖縄大百科事典。那覇:沖縄タイムス社。
-
那霸市歷史博物館(2012)。企画展川平朝申と沖縄文化。那覇:那霸市歷史博物館。
-
周婉窈(2003).海行兮的年代:日本殖民統治末期臺灣史論集.臺北:允晨.
-
金城順亮(1984)。沖縄人ここに在り-差別感の中で。新沖縄文学,60,23。
-
津田勤子(2016)。台北,國立臺灣師範大學台灣語文學系。
-
宮崎清,洪文珍(譯)(2005)。柳宗悅與日本民藝運動-柳宗悅的生涯及其思想發展軌跡。臺灣工藝,22,4-21。
-
琉球新報社編(1998)。沖縄コンパクト事典。那覇:琉球新報社。
-
國立臺灣圖書館。國立臺灣圖書館「臺灣學電子資源整合查詢系統」。
-
情報部演劇係。1941。《手軽に出来る青少年劇腳本集第一輯》。台北:台灣總督府情報部。
-
富山一郎(1990)。近代日本社会と「沖繩人」:「日本人」になるということ。東京:日本経済評論社。
-
黃得時。1945。〈無表情の表情-臺灣の人形劇とその將來〉《臺灣時報》28:3。
-
黃得時。1943。〈人形劇とその歷史〉《臺灣文學》3.1:28-31。
-
楊逵。1942。〈民眾の娛樂〉《民俗臺灣》2.5:33。
-
鳳氣至純平(2008)。中山侑的戲劇論述-藝術理念和政策之間的協力關係及其糾葛。帝國裡的「地方文化」:「皇民化時期臺灣文化狀況,臺北:
-
親富祖恵子(1989)。国家主義を越える視座-柳宗悅と方言論争。新沖縄文学,80,48-59。
-
龍瑛宗。1940。〈「文藝臺灣」作家論〉。《文藝臺灣》5:404。
-
齋木喜美子(2014)。川平朝申の児童文化.文学活動:日本統治下の台湾を背景地とした沖縄児童文化.文学の潮流。沖縄文化,48(1),40-59。
-
齋木喜美子、世良利和(2015)。川平朝申の文化活動に関する-考察(1)日本統治下台湾における映画との関わりを中心に。幅山市立大学教育学部研究紀要,13,29-38。
-
齋木喜美子、喜久山悟(2016)。川平朝申のライフコースとその時代-思想の形成過程と戦後沖縄文化との関わり。こうさく学,4,13-29。
-
簡秀珍(2008)。太平洋戰爭後臺灣的新劇活動-以地方青年業餘演劇與中央指定演劇挺身隊為討論中心。戲劇學刊,8,31-53。
-
関口進(2001)。大衆娱楽と文化。東京:学文社。
|