题名

1930年代植民地台湾の「癩文學」を読む-雑誌『萬壽果』における本島人の作品を中心に

并列篇名

閱讀一九三○年代殖民地台灣的「癩文學」-以雜誌《萬壽果》的本島人的作品為中心|Reading Leprosy Literature from 1930s Colonial Taiwan: With Special Attention to Works by Taiwanese Writers in the Magazine Manjuka

DOI

10.3966/181856492019080022004

作者

星名宏修(Hironobu Hoshina)

关键词

楽生院 ; 癩文学 ; 『萬壽果』 ; 樂生院 ; 癩文學 ; 《萬壽果》|Rakuseiin (Lo-sheng Sanatorium) ; leprosy literature ; Manjuka

期刊名称

臺灣文學研究集刊

卷期/出版年月

22期(2019 / 08 / 01)

页次

71 - 94

内容语文

日文

中文摘要

1930年12月、臺湾総督府は臺北州新荘郡に癩療養所楽生院を開設した。1934年10月に「癩予防法臺湾施行ニ関スル法令」が施行され、癩病患者の強制収容が始まった。「無癩州運動」では在臺内地人も臺湾人も収容の対象となった。こうした背景のもとで1934年に創刊された楽生院慰安会の機関誌『萬壽果』には、収容された患者のさまざまな文学作品が掲載されている。蝕まれていく身体や、帰れない故郷.肉親への思いを、彼らは文学表現に託したのである。植民地で癩を病んだ内地人だけでなく、臺湾人が日本語で創作した短歌もある。1930年代の半ばは、北條民雄や明石海人らの「癩文学」が日本内地の文学界で注目を集めていた。しかし同じ病に冒された患者の文学作品でも、臺湾で創作されたテクストには、植民地ならではの要素が含まれている。本報告は、これまでの臺湾文学研究では取りあげられることのなかった日本植民地期の「癩文学」を、『萬壽果』雑誌に掲載された本島人の作品に焦点をあてて論じるものである。

英文摘要

1930年12月,台灣總督府在台北州新莊郡開設了癩療養所樂生院(今樂生療養院)。1934年10月總督府施行「癩預防法台灣施行相關法令」(「癩予防法臺湾施行ニ関スル法令」),開始強制收容癩病患者,也推行了「無癩州運動」,在台內地人與台灣本島人均成為收容對象。在這樣的背景下,樂生院慰安會在1934年創刊機關誌《萬壽果》,其中刊載了收容的患者所著各式各樣的文學作品,他們在文學表現中寄懷了被逐漸侵蝕的身體、無法回歸的故鄉、對於至親的思念等。其中收錄的作品,除了來自在殖民地罹患癩病在台內地人外,也有台灣人的日語短歌創作。1930年代後半,北條民雄與明石海人等人的「癩文學」在日本內地文學界獲得注目,但同時罹患相同疾病、在台灣創作的作品則包含了殖民地特有的要素。本文因此將以《萬壽果》雜誌上刊載的作品為中心,閱讀台灣文學界尚未被分析的日本殖民期本島人的「癩文學」。|In December 1930, Government of Taiwan (Taiwan Soutokufu) established the Leprosy Sanatorium Rakuseiin (now Lo-sheng Sanatorium). Afterward, in October 1934, the government enforced the "Commands Related to the Enforcing of the Leprosy Prevention Law in Taiwan," according to which all leprosy patients were forced to be housed. Meanwhile, the "no-leprosy movement" demanded that all patients, Naichijin (Japanese) and Hontojin (Taiwanese), be housed. Against this historical background, the recreation association of Rakuseiin established the magazine Manjuka, which included various literary works by leprosy patients. In these works, they depicted their eroding bodies, their hometowns they can never return to, and dear family they could no longer meet. The magazine not only included works by Japanese with leprosy in colonial Taiwan, but also some Japanese tanka by Taiwanese patients. In the late 1930s, the so-called "leprosy literature" by such writers as Tamio Hojo and Kaijin Akashi had gained attention in the Japanese literary field. Suffering from the same disease, patients in Taiwan created literary works about leprosy that contained distinct colonial characters. This essay thus attempts to read these texts by Taiwanese people in Manjuka, to investigate this "leprosy literature" from colonial Taiwan that has received little critical attention until now.

主题分类 人文學 > 語言學
人文學 > 中國文學
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