题名 |
芥川龍之介〈報恩記〉中的「寄/記存之間」:以齊澤克理論為視點 |
并列篇名 |
芥川龍之介「報恩記」における「アーカイブ.スペース」-スラヴォイ.ジジェクの理論を視点としてー |
作者 |
王綉線 |
关键词 |
報恩記 ; 齊澤克 ; 意識形態 ; 崇高客體 ; 幻見 ; スラヴォイ.ジジェク ; イデオロギー ; 崇高な対象 ; 幻想 |
期刊名称 |
明道日本語教育 |
卷期/出版年月 |
8期(2014 / 08 / 01) |
页次 |
13 - 37 |
内容语文 |
繁體中文 |
中文摘要 |
「報恩」如同齊澤克所講的「意識形態的崇高客體」,是個幻見,本文試以齊澤克的理論,探討芥川龍之介〈報恩記〉作品中三人對報恩與被報恩「寄/記存之間」的匯流與分歧,以及這個小說的意識形態中的幻見。〈報恩記〉中的三個人物-盗賊(報恩人)、商人(被報恩人)、被商人斷絕父子關係之子,這三人都環繞在「報恩」主軸,各別向傳教士、聖母瑪莉亞告解,盗賊對商人的約諾,卻因商人之子的出現,報恩的意義產生變異。因此,被報恩人的寄望變成失望,當年救盗賊的被報恩人變成象徵性的階下囚,由他的兒子-跟他二十年前長的一模一樣的彌三郎代罪。彌三郎既想代父報恩,亦想成為逍遙於法外不死的盗賊梟雄,然而,諷刺的是他被逮捕了。彌三郎服刑的身體意喻著時間、空間記憶的匯流與分歧;也代表報恩意義的分歧、崩壞。 |
英文摘要 |
スラヴォイ.ジジェクの理論「イデオロギーの崇高な対象」によれば、「報恩記」における「恩返し」は幻想なことと言える。拙論ではスラヴォイ.ジジェクの理論を視点として、芥川龍之介の「報恩記」に恩に報いることと恩に報いられることに存在する「アーカイブスペース」のコンバージェンスと分岐、そして「報恩」のイデオロギーの幻想を探求する。三人の主人公、つまり盗人(恩に報いる人)、商人(恩に報いられる人)、商人に勘当された子が三人とも「恩返し」をめぐって、それぞれ伴天連、おん母まりや様に告白する。盗人が商人との約束は商人の子の突然の現れによって、本来の恩返しのやり甲斐その意味が一変した。それで恩に報いられる人は本来の持っている希望が一掃してしまい、昔救ってあげた盗人に恩に報いられるべく人は象徴的な意味で、犯人になった。しかも、二十年前の自分とそっくりの弥三郎が自分の罪を償いた。それは弥三郎は父の代わりに恩返しをしたがるし、法律逃れができ、死なない盗人になりたがるのである。ところが、皮肉なことは、弥三郎が逮捕された。これによって、斬首された弥三郎の首は、時間と空間の記憶のコンバージェンスと分岐という意味を象徴し、恩返しの意義の分岐と崩壊という意味も象徴する。 |
主题分类 |
人文學 >
語言學 人文學 > 外國文學 社會科學 > 教育學 |
参考文献 |
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